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ここまで何度も泣かされた映画は初めてかもしれないです。

ちなみに、にじゅうしのひとみ、と読みます。


『二十四の瞳』(1954年・日)
二十四の瞳
スタッフ
監督:木下惠介
脚本:木下惠介
原作:壺井栄「二十四の瞳」
製作:桑田良太郎
音楽:木下忠司
撮影:楠田浩之
配給:松竹
キャスト
大石久子先生:高峰秀子
香川マスノ“マーちゃん”:月丘夢路
川本松江“マッちゃん”:井川邦子
山石早苗:小林トシ子
岡田磯吉“ソンキ”:田村高廣
加部小ツル:南眞由美
西口ミサ子“ミーさん”:篠原都代子
徳田吉次“キッチン”:戸井田康国
片桐コトエ:永井美子
相沢仁太“ニクタ”:清水竜雄
竹下竹一:三浦礼
森岡正“タンゴ”:大槻義一
大石大吉:八代豊→八代敏行
大石並木:浮田久之→木下尚爾
大石八津:郷古慶子
よろずや:清川虹子
飯屋のかみさん:浪花千栄子
小林先生:高橋トヨ
田村先生:大塚君代
校長先生:明石潮
大石先生の夫:天本英世
ちりりんや:高原駿雄
松江の父:小林十九二
松江の母:草香田鶴子
男先生:笠智衆
大石先生の母:夏川静江
男先生の妻:浦辺粂子

~二十四の瞳 分教時代(1年生)~
相沢仁太“ニクタ”:佐藤国男
岡田磯吉“ソンキ”:郷古秀樹
香川マスノ“マーちゃん”:石井裕子
片桐コトエ:上原博子
加部小ツル:田辺由実子
川本松江“マッちゃん”:草野節子
木下富士子“フジちゃん”:神原いく子
竹下竹一:渡辺五雄
徳田吉次“キッチン”:宮川真
西口ミサ子“ミーさん”:小池泰代
森岡正“タンゴ”:寺下雄朗
山石早苗:加瀬かをる

~二十四の瞳 本校時代(6年生)~
相沢仁太“ニクタ”:佐藤武志
岡田磯吉“ソンキ”:郷古仁史
香川マスノ“マーちゃん”:石井シサ子
片桐コトエ:上原雅子
加部小ツル:田辺南穂子
川本松江“マッちゃん”:草野貞子
木下富士子“フジちゃん”:尾津豊子
竹下竹一:渡辺四朗
徳田吉次“キッチン”:宮川純一
西口ミサ子“ミーさん”:小池章子
森岡正“タンゴ”:寺下雄章
山石早苗:加瀬香代子


 木下惠介監督作品「二十四の瞳」

 原作は1952年に発表された壺井さんの「二十四の瞳」という小説。これを当時「カルメン故郷に帰る」(1951年・日)ですでに名を飛ばしていた木下監督が映画化しました。ただ舞台を壺井の故郷・香川県小豆島に変えたんですね。でもこの映画は木下監督と高峰秀子の人気を高めましたねえ。

 1年生時代と6年生時代で同じ役を苗字が同じ人がやってるの気づきました?これは木下監督が全国からよく似ている兄弟を募集して3600組7200人の中から12組24人を選んだんですね。だから1年生の子が6年生になったのを映像で撮っても違和感がそんなにないんですね。後にこの24人は「瞳の会」と称して同窓会を行い、木下監督の葬儀にも行っていたらしいです。

 この映画は、よく子供たちの合唱とかメロディーとして有名な童謡ばっか流れるんですねえ。私は小学校中学校と童謡はよく歌いましたが、この映画を見て、童謡ってこんなに素晴らしいんだ、と初めて思いましたね。合唱は美しい声で、何度も涙を誘いメロディーのみの童謡でも涙しそうになりました。音楽が流れるたびに涙腺が緩むなんてそうそうないです。

 大石先生は本当に泣き虫です。泣きミソ先生っていうのは的を射たあだ名ですねえ。だから先生の生徒への思いにこちらも胸を詰まらせる思いになりますね。

 この映画は教育者という立場の人間と教え子の関係を密接に描き、戦争による教育方針の変化を感じ取り、木下監督はこの作品に戦争反対の意思を込めました。つまり反戦映画の一つですね。ただし戦争の軍人が戦うシーンは描かれてません。しかし大石先生が何と戦っていたのか、それは描かれてますね。



【あらすじ】

 小豆島の分校にやってきた新米教師・大石久子は12人の子供たちを教え子として接し、24人の瞳に見つめられながら授業をしていた。やがて骨折により本校に移った久子は4年後に12人の子供たちと再会。しかし当時、徐々に戦雲が高まりつつあり・・・

















【以下全文ネタバレ注意】













↓四行後にネタバレ文あり




 瀬戸内海の島の一つ・小豆島
 小学校の生徒は四年までが岬の分教場にゆき、五年になってはじめて片道五キロの本村の小学校へかようのである。

 昭和三年四月四日。
 生徒たちが「村の鍛冶屋」を歌っていると辞めてしまう小林先生(高橋トヨ)を見つけ駆け寄る。小林先生は後任に大石久子先生(高峰秀子)が来る、と教え大石、という苗字なのに背が小さいことを聞かされると「じゃあ小石先生だ!」と言って大はしゃぎする。

 服を着て自転車に乗りながら通勤する大石先生によろず屋(清川虹子)らはおなごのくせに、と不信感を募らせていた。

 始業式を終えた大石先生は早速、自分の持つクラスの教え子たちの出席をとり、名前と顔を覚えていた。子供たちは、頼みもしないのにあだ名を教えたりしてくれた。

 相沢仁太“ニクタ”(佐藤国男)、岡田磯吉“ソンキ”(郷古秀樹)、香川マスノ“マーちゃん”(石井裕子)、片桐コトエ(上原博子)、加部小ツル(田辺由実子)、川本松江“マッちゃん”(草野節子)、木下富士子“フジちゃん”(神原いく子)、竹下竹一(渡辺五雄)、徳田吉次“キッチン”(宮川真)、西口ミサ子“ミーさん”(小池泰代)、森岡正“タンゴ”(寺下雄朗)、山石早苗(加瀬かをる)。

 大石先生は早速「小石先生」なんてあだ名を付けられ呼ばれながら帰宅していた。分校にはもう一人男先生(笠智衆)と、教師ではないがその妻(浦辺粂子)がいた。男先生と対称的に村人には「おなご先生」なんて呼ばれていた。

 その後、大石先生は12人の子供たちとよく歌を歌ったりして仲良くなっていく。しかし村人から好かれていないことを大石先生は悩みお母さん(夏川静江)に相談したりもしていた。

 だがある日、大石先生は暴風雨が過ぎ去った次の日、道のガレキ駆除を教え子たちと手伝っていると教え子の一人の家の押入れが壊れちゃった、と聞き12人と一緒に大笑いする。

 しかしここぞと大石先生に嫌気を差していたよろず屋が
「人の不幸をなに笑うとるんです?ウチは旦那が屋根から落ちましたがそれがオモロいですか?」
 大石先生は謝罪しよろず屋は去っていく。
「小石先生、大失敗の巻だね」
 大石先生はうつむきながら泣き、生徒たちはそれを見過ごしはしなかった。

 落ち込んだ先生を励ましてやろうと悪ガキ達を中心に12人の子供たちは先生に落とし穴を仕掛ける。落とし穴にハマった先生だったが、苦しんでいた。どうやら足を痛めたのだという。生徒はすぐに男先生たちを呼びに行った。先生は担架で運ばれしばらくの復帰は無理そうだった。

 土曜日の一週間に一度の唱歌の時間。いつもは大石先生がオルガンを弾いて子供たちと歌を歌ってたのだが大石先生はいない。しばらくは前に習った歌を合唱したりしていたが、いつまでもそうし続けるわけにもいかない。男先生は必死に妻と一緒にオルガンを習っていた。

 そしてその週の土曜日、男先生がオルガンで子供たちに教えるが、やはり大石先生ではない物足りなさがあった。

 12人の生徒たちは対岸にある先生の家を見つけ、近くに見えるからそこへみんなで歩いて行こう、と歩き出す。しかし舟のお金がないうえに黙って行かなければいけない12人はわざわざ回り道をしなくてはならない。自転車で大石先生が通勤するのに50分かかる道を歩くのだ。

 親たちは子供が居なくなったもんで探し回る。一方、その12人の子供たちはなかなか家につけずコトミが泣きだしてしまう。

 そんな時、たまたまその道をバスが通りかかる。竹一がそのバスに乗っている大石先生を見つけ追いかける。バスは停車し中から大石先生が降りてきた。子供たちはみんな大石先生の下に駆け寄り一斉に泣き出してしまった。自分に会いに来たと知った大石先生も泣き出してしまう。

 その後、大石先生は家に連れて行ききつねうどんを皆にたらふくごちそうする。そのあと、みんなで集合写真を一枚撮って帰りは舟で帰って行ったのだった。

二十四の瞳の写真

 しばらく月日は経ち大石先生の家に本校の校長(明石潮)が怪我で分教場へ行くのは難しいだろうから、と本校に転任が決まったと伝える。しかし大石先生は複雑な心境だった。そこに小ツルの父親のちりりん屋(高原駿雄)が1年生の保護者からのお見舞い品を持ってやってきた。

 しばらくぶりに舟で分教場側の岸にやってきた大石先生。子供たちはいっせいに大石先生に駆け寄る。大石先生は保護者にお見舞いの感謝の言葉を言いに回って行ったが誰がどれをくれたのかよく分かっておらず頓珍漢な発言をしたりする。一方、保護者や村人も大石先生への意見を改めており、温かく接する。

 大石先生は子供たちと共に分教場に戻っていくがそこで本校に転任するのでお別れのあいさつをしに来た、と告げる。森岡正が自分が毎日、舟を漕ぐと言ったりして、やがて全員で泣き出す。大石先生もつられて泣き出してしまった。男先生は言う。
「ありゃ。先生を笑顔で送んなきゃダメじゃないか。いつまでも泣きやまんなら、泣きたいだけ泣け。こりゃ授業になんねえなあ。」
 大石先生は泣きながら言う。
「みんな。成長して本校でまた会いましょうね」

 やがて大石先生出発のとき。岬に暮らす人たちは大石先生の船を見送るのだった。男先生が自分の教えた歌で見送ろう、と生徒に促すが12人の子供たちは大石先生に教わった「七つの子」を歌って見送るのだった。


~あれから5年後。

 12人は6年生に上がっていた。相沢仁太“ニクタ”(佐藤武志)、岡田磯吉“ソンキ”(郷古仁史)、香川マスノ“マーちゃん”(石井シサ子)、片桐コトエ(上原雅子)、加部小ツル(田辺南穂子)、川本松江“マッちゃん”(草野貞子)、木下富士子“フジちゃん”(尾津豊子)、竹下竹一(渡辺四朗)、徳田吉次“キッチン”(宮川純一)、西口ミサ子“ミーさん”(小池章子)、森岡正“タンゴ”(寺下雄章)、山石早苗(加瀬香代子)。

 海の色も山の姿もそっくりそのまゝ昨日につゞく今日であった。しかし流れ去った五年の歳月の間に満州事変、上海事変、世の中は不況の波におしまくられていた。
 だが幼い子供達は前途に何が待ち構えているかをしらず、彼等自身の喜びや彼等自身の悲しみの中で伸びていった。

 春休みになり、大石先生は遊覧船の船乗り(天本英世)の婿をもらう。生徒たちは大石先生の旦那さんに興味津々だった。

 川本松江の家は貧しく、父親(小林十九二)は娘が欲しがっているユリの花の弁当箱も買ってあげられなかった。また母親(草香田鶴子)は妊娠していたものの、休みもせず働いていた。

 それが原因なのか、松江の母は出産のときに死んでしまい、妹だけが松江に残った。大石先生は家庭訪問をして子守をする松江にユリの花の弁当箱を差し出す。

 だが、松江はいつまで経っても学校に来ない。ある日、大石先生は松江の妹がついに死んだことを知らされる。

 別の日、大石先生の同僚・片岡先生が「草の実」という文集を授業で使い子供に反戦思想を植え付けた、という容疑で警察に取り調べられた。すぐに釈放されたものの、その文集を大石先生が自分は使った、と校長に報告。すぐに校長はその文集のある場所を聞き出し、火をつけて燃やしてしまった。

 しかし片岡先生が警察に連れて行かれた理由を「資本者」などという言葉を使って子供たちに説明した大石先生は校長から厳重注意を受ける。

 また、母が死んだ松江は父親と共に大阪に引っ越してしまったことを知る。頭を殴られながらも必死にいやだいやだ、と父に訴えていたらしい。大石先生はそのことを聞き自分の無力さを嘆いていた。


 修学旅行。
 香川県へ船で向かう本校の子供たち。途中、夫の乗っていたフェリーと出会った大石先生は夫に向かって手を振る。また船の上ではマスノが「浜辺の歌」を歌ったりもした。

 金毘羅宮に差し掛かったとき、大石先生は疲れており同僚の田村先生(大塚君代)と一緒に近くの茶屋にでも入ろうとしていた。そのとき、「天ぷら一丁」という聞き覚えのある声を聞き、その声がした飯屋に入ってみた。そこには大阪に引っ越したはずの松江が学校の時間にも関わらず働いていたのだ。

 大石先生は松江に話しかけるが松江は大した返答もしない。飯屋のうるさいかみさん(浪花千栄子)と二、三松江のことを話してから大石先生は店を去る。
「マッちゃん。手紙頂戴ね。先生も書くから」
 松江は黙ってうなずき、大石先生は何もしてやることができないまま11人の生徒たちのもとへ戻っていく。松江は店を抜け出し、通りで先生に駆け寄っていく11人を隠れて見つめ、路地裏でさびしそうにする。

 そして、修学旅行生を乗せたフェリーは本校へ戻っていく。みんなの帰りのフェリーを埠頭から泣き続けながら見送るのだった。

 授業で“将来の希望”について作文させている大石先生。しかし途中でフジちゃんが泣き出してしまう。大石先生はフジちゃんを連れて渡り廊下で話を聞くことにする。
「先生。私、将来の希望なんてかけないんです」
「書けなくたっていいわ。書かなくても先生よく分かる。フジちゃんの辛いの」
「先生にもどうしていいか分からないけどあんたが苦しんでるのあんたのせいじゃないでしょう。
お父さんやお母さんのせいでもないわ。世の中のいろんなことからそうなったんでしょう」
「だからね。自分にがっかりしちゃだめ自分だけはしっかりしていようと思わなきゃね。
先生無理なこと言っているようだけど、もう他に言いようがないのよ」
 フジちゃんは先生の胸で泣き、先生も思わず泣いてしまう。

 大石先生は面談でコトエに進学を勧めていた。しかしコトエは進学しないという約束で修学旅行に行かせてもらったらしく、本人も親に奉公したいという思いがあり進学は諦めていた。

 大石先生は男の子の生徒たちと軍人さんについて話していた。軍人さんになりたい、と言っている男の子たちに
「先生は軍人さんより庄屋さんとか農家の人の方が格好いいと思うけどなあ」
 と生徒の命を案じて答え、男の子は先生を弱虫扱いする。

 また、マスノの料理屋に家庭訪問に行った大石先生。東京に行って歌をやりたい、というマスノの夢を止めるよう説得してくれ、というマスノの母。大石先生はそれを決して馬鹿にしたり、止めることはしなかった。

 校長に呼び出された大石先生が反戦思想を吹き込んだいわゆる“赤”だ、という疑惑が流れていると伝え大石先生を厳重注意する。
「いいですか。教師ってのはお国に御奉公のできるような、そういう国民に育てあげるのが義務です」
 大石先生はその考えにどうしても賛同できなかった。

 卒業式。
 そして11人の子供たちは卒業式を終え、卒業していった。

 大石先生は妊娠しながら、夫と相談。今の大日本帝国による教育方針に失望し、教師を辞めることを決意したのだった。

 そんな大石先生の家にソンキと竹一が訪ねてくる。二人は兵隊さんになるつもりらしい。また二人から富士子が兵庫に引っ越したことを聞かされる。やりきれない思いを抱えながら大石先生は帰る二人をバス停まで見送った。


~8年後

 海の色も山の姿も昨日につゞく今日であった。しかしそこに住む人々の生活は 支那事変、日独伊防共協定 大きな歴史の流れにおし流されていった。

 大石先生は結核のコトエの家にお見舞いにやってくる。どうやらコトエはもう永くないらしい。結局、奉公すら出来ず男の子に生まれれば両親を苦労させることはなかった、とコトエは意気消沈しており大石先生は励ます。

 そして貧しい家に飾られた12人の子供たちと大石先生で撮った写真。それをコトエは寝たっきりになりながらずっと見つめているのだという。大石先生も時代の変化に涙し24の瞳がこれから背負うものの重さを嘆いてていた。

 やがて教え子の徳田吉次(戸井田康国)、相沢仁太(清水竜雄)、竹下竹一(三浦礼)、森岡正(大槻義一)、岡田磯吉(田村高廣)たちが次々と出征していく。島民たちは戦地に赴く男たちの乗るフェリーを見送るのだった。

 そして大吉(八代豊)、並木(浮田久之)、更に八津の三人の子供を産んだ大石先生だったが、夫が赤紙によって徴収されてしまう。


~四年後

 四年の歳月は大東亜戦争の擴大とともに兵隊墓に白木の墓標をふやすばかりであった。

 4年前は赤ん坊だった八津(郷古慶子)も今は成長していた。大石先生は病気がちな母親を看病していたがやがて母親は死んでしまう。

 そして大石先生の夫の戦死の通知が届いたのだった。


~八月十五日

 学校で、敗戦を知らせる天皇陛下の玉音放送が流れた。出征を控えていた大吉だったが、戦地に赴けなかったことを悔しがっていた。

 しばらくして、八津が柿の木に昇って柿を取ろうとして木から落下し死んでしまった。大石先生はお墓に行き、貧しくてロクに食べさせてあげられなかった、だからおなかがすいて柿をとろうとしたんだろう、ということを嘆いていた。


~昭和二十一年 四月四日

 大石先生は大吉(八代敏行)の漕ぐ舟で分教場へと向かっていた。彼女は年老いたが、再び教壇の上に立つことになったのだった。彼女は息子・大吉が舟を漕ぐ姿を見て、教え子・森岡正が昔に舟を漕いで先生を送っていくよ、と言っていたのを思い出す。

 運命の悪戯か、かつての教え子たちの子供や結核で結局死んでしまったコトエの妹などが学校に通っており、大石先生が教えることになったのだ。始業式の日に早々と大石先生は泣き出してしまう。

 大石先生は墓地へ行き、戦死した教え子の森岡正、相沢仁太、竹下竹一のお墓参りをしていた。その墓場で娘を教えてもらうことになったかつての教え子・ミサ子(篠原都代子)と再会する。墓参りをして泣き続ける大石先生を見つけた子供たちが
「泣きミソせんせぇー!」
 とからかっていた。大石先生の新しいあだ名はすぐ泣いてしまうから“泣きミソ先生”なのだという。ミサ子は大石先生の歓迎会を開いてくれる、ということを決めたと大石先生に話す。

 歓迎会の会場であるマスノ(月丘夢路)の料理屋に向かう大石先生。大吉、並木(木下尚爾)らと一緒に途中まで行き、二人を先に帰して料理屋に向かっていく。

 料理屋の近くで、加部小ツル(南眞由美)、山石早苗(小林トシ子)と再会。そしてあの松江(井川邦子)も来ていたのだ。大石先生も松江も再びの再会に感涙する。

 マスノの料理屋の和室に来た大石先生はそこで教え子たちがお金を集めて購入した自転車をプレゼントされまた感涙してしまう。泣きミソ先生というあだ名も的を射ているかもしれない。

 そして戦争に行き盲目になってしまい時には死んだ方がマシだった、と嘆いていたソンキこと磯吉、戦地から無事に帰ってきたキッチンこと徳田吉次も合流する。

 みんなで「七つの子」を歌ったりして、やがて思い出の24の瞳と大石先生が映った記念写真が回される。やがてソンキも見たくなり、写真を持ちながら目が見えないのに指で辿る。

「おうこの写真はなあ、見えるんじゃ」
「なあほら、まん中のこれが先生じゃろ。その前にわしと竹一と仁太が並んどる。
先生の右の、これがマーちゃんで。こっちが富士子じゃ」

 大石先生や松江たちもその姿を見ながら昔を思い出し泣き出す。ソンキは声を詰まらせながら
「マッちゃんが左の小指を一本ぎり残して、手を組んどるが」
 と言う。歌手になりたかったマスノは涙目になりながら「浜辺の歌」を歌うのだった。


 大石先生はプレゼントされた自転車に乗って分教場へと今日も向かっていた・・









 好きなシーンってのはたくさんあります。泣いてしまったシーンもたくさんあります。例えば子供たちが歩いて先生のお見舞いに行って再会したシーン、なんといっても終盤の歓迎会のシーン。私が演出でうまいなあ、と一番感じたのは松江がフェリーを見送るシーンですね。松江は泣きながらかつての仲間が乗ったフェリーと同じ方向へトボトボ歩きだすんですが、それを遠くのフェリーが松江を抜かすんです。そうするように移したカメラワークがうまい。辿りつけない、ことをうまく表している気がしました。

 まあ確かにちょっとコトエの結核で嘆くシーンは少しあざといかなあ、と思ったこともあります。ですがこの映画はうまく感情移入できるようにしてあると思います。私たちのような戦争を知らない世代でも。まあ個人差なのですが、是非泣ける人はむせび泣いてみてください。感動の一作です。

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