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序盤でお父さんに感情移入しちゃってウルっときちゃいました。


『だれかのまなざし』(2013年・日)
だれかのまなざし
スタッフ
監督:新海誠
脚本:新海誠
演出:新海誠
音楽:松浦晃久
主題歌:和紗「それでいいよ」
制作:野村不動産
キャスト
岡村綾“あーちゃん”:花村怜美
岡村浩司:小川真司
語り:平野文


 新海誠監督作品「だれかのまなざし」

 新海誠さんっていう方は私の知り合いから何度も「この人いいヨ!」と言われて気になっていた方です。今回、企業宣伝用CMのショートムービーがあると知ったので、試しに観てみました。この人の絵、本当にきれいですねえ。近未来の都市が舞台だそうなんですが、その映像美の綺麗さは私が小さいころスター・ウォーズ実写映画で都市コルサントを初めて見たときくらいの衝撃を受けました。

 これがまたストーリーもいいんですよね。小川真司さんが声を演じる、主人公あーちゃんのお父さんにすっごく感情移入しちゃって始まってから3分くらいで涙しそうになりました。こういう、社会に揉まれたお父さんのお話って私、泣きそうになるんですよねえ。そういう話に弱いんです。漫画の「黄昏流星群」でも似たような話があって、立ち読みしながら泣きました。

 細かいシーンもいいですね。私は本当に最初の方の、吊り革を右手に持ち替えたり左手に持ち替えて、最後には両手で掴むところ。電車通勤、通学の人で帰りの電車で疲れているのに座れないと両手で吊り革掴んだりしますよね。その表現をうまく平野文さんの語りで、詩的に表せていると思いました。


【あらすじ】

 岡野綾ことあーちゃんは社会に出て生活をしていたが、疲れ切ってしまっている。近くに来ていたお父さんに食事に誘われても断ってしまうほど・・















【以下全文ネタバレ注意】













↓四行後にネタバレ文あり




 寒い寒い冬。岡野綾(花村怜美)ことあーちゃんは会社に出勤し、帰りの電車で疲れ切っていた。そんな自分の顔を見るのも嫌で電車の窓から目を背ける。あーちゃんの降りる駅はまだまだ遠い。

 小さいアパートの自室に戻って一睡しようとすると父・浩司(小川真司)から電話がかかってくる。お父さんもあーちゃんも会社で説教され、疲れ切っている。それでも二人とも自分は元気だと嘘をついたり、お父さんが飼っている猫のミーさんも元気だ、と嘘をつく。ミーさんは老齢でもう寝たきりなのに。

 あーちゃんはお父さんからの食事の誘いを、まだ会社にいるからと嘘をついて断ってしまう。もうあーちゃんはお父さんと食事するのが嬉しいお年頃ではない。

 小っちゃいころはお父さんお母さんと一緒に食事ができるだけで喜んでいた。やがてお母さんの仕事が忙しくなり、お父さんとあーちゃんの二人きりの生活が多くなってしまう。

 寂しさを隠せないあーちゃんにお父さんは猫のミーさんを連れてきた。あーちゃんとミーさんはすぐに親友になり二人で駆け回ったりしたが、制服を着るような年頃になればあーちゃんの楽しみは外の友達に向かうようになる。

 あーちゃんの中でお父さんの存在は日に日に小さくなっていき、取引先にペコペコする父を見れば軽蔑までしてしまうようになる。

 お父さんは自分から離れていくあーちゃんの姿も、成長として喜ぶ反面、寂しさも抱くようになる。

 就職をきっかけに、あーちゃんは家を出て一人暮らしを始める。お父さんはミーさんと一人一匹暮らしになってしまった。

 念願の一人暮らし。しかし会社で働くあーちゃんは上司に厳しく叱りを受けたりする現実に直面し一人、夜な夜な涙を浮かべることもある。

 ミーさんはそんなあーちゃん、お父さんのことを思い出しながらできることならもう一度、あーちゃんと会いたかったと思いながら息を引き取った。

 あーちゃんはミーさんの死をお父さんから聞かされ、すぐに実家に戻る。ミーさんの写真を見ながらお母さんとの電話を終える。

 お父さんは「他の誰が死ぬよりもこんなに悲しいことはないと思ったんだ。おかしいかな?」と尋ね、あーちゃんは「ミーさんは家族だったからおかしなことじゃない」と答える。

 お父さんとあーちゃんが忘れてしまったことはたくさんある。空港でお母さんが二人から離れたとき、お父さんはあーちゃんを、あーちゃんはお父さんを絶対に守ろう、と誓ったときのこと。

 あーちゃんが友達と喋っている時に、親の悪口で盛り上がってしまい罪悪感を抱いたあーちゃんがお父さんに初めてご飯をつくったときのこと。

 あーちゃんが引っ越しした初めての日。その寂しさに二人ともが密かに涙をしたとき。お父さんがあーちゃんを食事に誘ったとき、本当はあーちゃんのアパートの近くで豪華なお弁当二つを用意して、電話をしたとき。その日はお父さんは寂しく家に帰って行ったが。

 ミーさんが死んだ次の日にあーちゃんは二回目の料理をお父さんに作ってあげた。あーちゃんもお父さんもミーさんの夢を見たらしい。二人は昔のことを色々思い出した。

 やがて時はまた進み、春。お父さんは新しい小猫を飼うようになりあーちゃんが「ただいまー」と言いながら見に来る。お父さんは小さいころの綾みたいだ、とからかう。やがてお母さんも家に到着した。








 タイトルが出てくるシーンで橋の向こうからストーリーには関係していないんですが、お父さんと娘さんがいて、娘さんがあーちゃんの乗る電車に手を降ってるんですね。私、このシーンをボーっと何の気もなしに観ていたんですが、このシーンでこれは親子のお話なんだ、と分からなきゃ駄目だったんですね。結局、最後まで観るまでこのシーンがそれを暗示していたことをに気付けませんでした。まだまだ未熟でしたねえ。

 だれかのまなざし、ってのはやっぱり繋がりですよね。何だかんだで人間は一人じゃ生きれない。きっと誰にだって見守ってくれている“まなざし”が必要で、そのまなざしを人生一度でも誰かから向けられたことはどんな人にだって、あるんですよ。そのことに、いつ気付けて感謝できるか。それに本当に気付けた時、人間として磨かれるでしょう。そんな風に思いましたね。

 それにしても、ただいまーって何ていい言葉なんでしょうねえ。これが遊びに来たよー、とかだけで終わっていたらこの映画の評価は私の中で一段下がっていたと思います。

 余談ですが、久しぶりにブログ書いたもんでいつもよりベラベラ書いてますね。やっぱブログ書くの楽しいなあ、と再認識しました。


※期間限定配信ですので配信期間を過ぎると、観れなくなります。ご注意ください
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