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美術的な映画ですねえ。なだらかで美しい映画です。


『河』 The River (1951年・米仏印合作)
河
スタッフ
監督:ジャン・ルノワール
製作:ケネス・マッケルダウニー
原作:ルーマー・ゴッデン「河」
脚本:ルーマー・ゴッデン、ジャン・ルノワール
撮影:クロード・ルノワール
音楽:M・A・パーサ・サラティ
助監督:サタジット・レイ
キャスト
ハリエット:パトリシア・ウォルターズ
 回想ナレーション:ジューン・ヒルマン
バレリー:エイドリアン・コリ
メラニー:ラーダ
カヌー:ニマイ・バリク
ボギー:リチャード・R・フォスター
ヴィクトリア:セシリア・ウッド
エリザベス:ペネロープ・ウィルキンソン
マフィー:ジェーン・ハリス
マウス:ジェニファー・ハリス
アニル:トゥリラック・ジェットリー
門番サジャン・シン:ラム・シン
ジョン大尉:トーマス・E・ブリーン
ジョン叔父さん:アーサー・シールズ
乳母ナン:スプロヴァ・ムケルジー
ハリエットの母:ノラ・スウィンバーン
ハリエットの父:エスモンド・ナイト


 ジャン・ルノワール監督作品「河」。原題は「The River」。

 原作はルーマー・ゴッデンの同名小説。ルーマーという女性は「黒水仙」なども書いてますね。大人向けの恋の物語ばかりと思えば、児童に向けた本も書いている人です。

 ジャン・ルノワール。お父さんのオーギュストはあまりにも有名な印象派の画家ですね。動かない絵に関してはお父さんのオーギュストがあまりにも有名ですが、ジャンは動く絵、つまり映画で父と勝負すればお父さんの才能に負けていませんね。「大いなる幻影」や「フレンチ・カンカン」(1954年)などの監督さんでもあります。でもこの人は映画の作り手であり父とは違う芸術家であっても、その作品には父の影響を色濃く受けている気がしますね。この映画は経過がとってもゆったり流れているんですが、そのゆったりさがインドの風景とマッチして絵のようです。絵のような映画ですよ。

 この作品なんかはお父さんの「ラ・グルヌイエールにて」に似てますね。お父さんも「女性大浴女図」など水と登場人物を調和させた絵画作品がいくつかあるので、この映画の製作の源流にはお父さんの作品があったのかもしれません。ちなみに撮影のクロード・ルノワールはオーギュストの三男。ジャンは次男です。長男は俳優ですね。この映画には出てませんが。

 助監督のサタジット・レイ。この人はインドの映画人で後に「大地のうた」「大河のうた」「大樹のうた」の三部作を作ることになる人です。この映画はサタジット・レイの映画人としてのキャリアの始まりとなる映画でもあります。この三部作も観てみたいですねえ。



【あらすじ】

 ガンジス沿岸のとある村にイギリス人の家族が暮らしていた。ある日、近所のお家に戦争から帰還し片足を失ってしまったアメリカ人の若者がやって来る。イギリスの長女はその若者に恋をする。

予告編














【以下全文ネタバレ注意】













↓四行後にネタバレ文あり




― この物語はインドに住むイギリス人家族の長女ハリエット(パトリシア・ウォルターズ)の初恋の物語である、と彼女自身の回想(ジューン・ヒルマン)によって語られる。
 広い河辺、そこに住む人々は地面に砂絵を書いている、そんな日々のおはなし。そして、ハリエットの初恋。初恋というのはありふれたものだが、土地が違ってれば初恋の色も異なることもあるかもしれない。

 ガンジス河のほとりのとある村。ガンジス河はヒマラヤ山脈に積もった雪が溶け、ベンガル湾へと流れていく河なのだ。河には多様な生命があり、魚、カワイルカ、亀、鳥、そして川に生まれ死んでいく人々【※1】。川は泥んこと砂の間を通って水田やジュート畑【※2】も巡る。あらゆる形のジュートが舟によって工場まで運ばれる。舟が岸につくと、労働者たちが荷物を担ぎ、荷物を数えるカウント用の貝殻を港湾労働者に渡し、工場へと運んでいく。その工場の管理人がハリエットの父(エスモンド・ナイト)だ。村の人々はハリエットの父を慕い、村で数千年変わらぬ伝統と共に暮らしてきた。
※1】ガンジスでは火葬してから、遺骨を水葬する。ヒンドゥー教徒はガンジスを“聖なる川”と崇め、それに骨を流されることによって罪を清められ、苦しい輪廻なしに悟りを開けると信じられている。
※2】ジュート:別名コウマ。熱帯や湿地帯でよく育つ麻。導火線、カーペット、麻袋などに使用されることが多い。

 さてこのハリエットの笑い声で溢れ時がそっと過ぎていく家の家族構成を紹介しよう。好奇心旺盛なこの家唯一の男の子でハリエットにとって弟のボギー(リチャード・R・フォスター)は地元の子供のカヌー(ニマイ・バリク)と遊ぶのが好き。そして動かないおもちゃより動きをしてくれる生き物の方が好きだった。ペットのウサギのホピティが大好きな妹ヴィクトリア(セシリア・ウッド)。双子の姉妹のマフィー(ジェーン・ハリス)とマウス(ジェニファー・ハリス)。そして妹エリザベス(ペネロープ・ウィルキンソン)。そして父とまた新しい家族を身籠っている母(ノラ・スウィンバーン)がいた。
 他にも乳母のナン(スプロヴァー・ムケルジー)、毎日遊びに来るジュート工場の所有者の娘バレリー(エイドリアン・コリ)、数人の使用人、かつてはヒンドゥー教徒で兵士であった門番のサジャン・シン(ラム・シン)がいた。

 ある日、アメリカ人のジョン(アーサー・シールズ)の下にいとこのジョン大尉(トーマス・E・ブリーン)がやって来る。ハリエットの家の人たちは彼に興味を示しハリエットもそのジョン大尉を美しい人だ、と惚れる。

 ジョン大尉は戦争で負傷してしまい、片足が義足なのだという。戦争による負傷は英雄扱いされ恩給も増すという。思春期を迎えつつあるハリエットとバレリーは彼にゾッコン。乳母のナンは二人に対し、ジョン大尉をディーワーリー【※3】の日に家のパーティに招待するよう提案する。
※3】ディーワーリー:別名、光の祭り。10月または11月の新月の日に開かれ、期間中は街中でロウソクや照明を灯したり花火をしたりする。

ハリエットは招待の手紙を持って、ジョンの家を訪れる。ジョンの家ではヴィーナ【※4】の音が聞こえており、丁度ジョンの一人娘メラニー(ラーダ)が学校を卒業し帰ってきたのだ。ジョン叔父さんがハリエットとメラニーを家に迎え入れ、家に入るとメラニーの幼馴染で彼女と結婚したがっている地元のお金持ちのお坊ちゃんアニル(トゥリラック・ジェットリー)とジョン大尉がいた。アニルはメラニーを散歩に誘う。ハリエットはジョン大尉に手紙を渡すという目的を果たす。
※4】ヴィーナ:インドの弦楽器。

 ディーワーリーの日。ジョン一家はハリエットらの家を訪れる。ハリエットら女子たちは庭で光る噴出花火に心躍らされていた。バレリーとハリエットはジョン大尉の目を意識していた。

 その日は村中で破壊と創造の女神カーリー・マーが祟られていた。カーリーに捧げ物をしてご機嫌をとり、踊りをして無病息災をお祈りするのだ。

 ハリエットの家ではダンスパーティーが開かれ、家族はダンスに興じる。ジョン大尉の話し相手を頼まれたメラニーだったが、ジョン大尉との会話が盛り上がらない。積極的なバレリーはジョン大尉をダンスに誘い、バルコニーで会話を楽しむ。その姿をハリエットはナンと一緒に茶化しながら見ていて、メラニーは静かに見つめていた。

 翌朝、河の土で作られ塗られたカーリーの偶像はガンジスに流されその役目を終える。川岸でそれを貧富老若男女関係なく村中の人が見守る。

 メラニーは母の形見の民族衣装サリーを着て父を驚かせる。ジョン叔父さんは驚くが、どうもメラニーはジョン大尉に対し不機嫌な様子。

 その後でメラニーはハリエットと愛について語る。クレオパトラのように多くのものから派手に愛されたい、というハリエットに対しメラニーは一人から一途に愛されればそれでいい、という結論だった。メラニーの父のジョン叔父が間に入ってきて将来、アニルと結婚すれば富が手に入る、と説き会いに来たアニルに会え、というがメラニーはどうやらアニルに今は会いたくないようだ。

愛することを無性に気になり始めたハリエットは母に対し、自分が容姿に自身が持てないことを話す。母はこの世に醜い人はおらず、どんな人でも美しいのです、という答えを返す。しかしハリエットは自分はもっと美しくあってジョン大尉に振り向いてほしい、と思うのだった。

 しかしそのジョン大尉はどうやら戦争に駆り出されてから苦悩し自分を見失ってていて小娘の恋心にかまけている余裕はないようだ。ジョン大尉は戦争で片足を失い、英雄扱いされて国に戻ってきた。英雄となったジョン大尉をパレード、星条旗、女たちが迎えたが戦争が終われば彼はただの片足を失った男。彼はそんな哀れな境遇とギャップの違いに耐え切れずインドへやってきたのだ。

 ジョン大尉はジョン叔父さんと哲学的な話をする。ジョン叔父さんは大尉に宿題を出した。
「金門橋に二人の男がいる。ひとりは橋で死んだ。もう一人は水に飛び込み、時間をかけて泳いで渡ったが陸にたどり着いた」
 ジョン大尉も水に飛び込むべきかそうでないか、は自分で答えを出せ、と叔父さんは言うのだった。

 市場ではボギーが蛇使いが笛で操るコブラに興味を示していた。また、ハリエットはジョン大尉が市場をぶらぶらと歩いていくのを追いかける。ハリエットはジョン大尉に自分の存在を印象づけたかった。ハリエットは自分の家に誘い、自作の詩が書かれたノートを読ませる。ジョン大尉の評価は良かったもののそこに現れたバレリーの下へとジョン大尉はさっさと行ってしまい、ハリエットはバレリーに嫉妬する。だが後にハリエットが屋上で凧揚げをしているとジョン大尉が手伝ってくれたので、ハリエットは嬉しい気分になる。

 ボギーはカヌーと一緒に庭の神聖な菩提樹を探索していた。すると彼が欲していた野生のコブラを見つける。どうやらこの菩提樹にコブラがいるようだ。

 ハリエットは河が大好きだった。だからいつも河に関する詩ばかりを書いていた。ここの人々はみな河に肉体的にも精神的にも頼っている。町から河へと続く階段。その階段だけでも多様にあり、人々は町の喧騒を離れ階段で河へと降りていく。ハリエットはその河の詩がジョン大尉を魅了すれば、と願った。シェヘラザードが王様に語った千夜一夜物語のように。

 ハリエットはバレリーと会話を楽しむジョン大尉にクリシュナ賛歌【※5】を書くという。
【※5】クリシュナ賛歌:インド神話の英雄クリシュナへの賛歌を中心に置いて描かれる抒情詩。バル・チャンディーダースによって作られる。

 昔々、小さな村。若妻が母と共に河へ行き、子供を授かるためのお祈りをする。そして生まれたのは女の子。女の子は結婚に持参金がいる。家族は持参金を稼ぐためにあくせく働いた。女の子は家族の仕事を手伝い河の流れのようにすくすく成長する。

 その女の子はメラニーがモデル。女の子はある日、美しい若者に恋するが、しきたりにより父が決めた相手と結婚しなければならない。父に逆らえない女の子。女の子は結婚式を美しくしようと米粉で中庭に絵を書く。

 さて結婚式。女の子は初めて花婿と会う。その花婿は偶然にも女の子が恋した若者だった。女の子は若者との結婚を喜ぶ愛の踊りを踊る。男の子には美しい男の神クリシュナが、女の子にはクリシュナが恋した娘ラーダが宿る。ラーダはクリシュナからの愛の力を受け神となった女性だ。



 その後、女の子は若者の子を授かるように、と河へ母と共に祈りに行く。

 そんな詩を書いたハリエットだが、バレリーはクリシュナ賛歌でも何でもない、と文句を言い、ハリエットの詩が書かれたノートを取り上げてそれを読み上げてからかう。そこにはジョン大尉に対する恋慕ともとれる詩が書いてあったのだ。ハリエットはバレリーからノートを取り返そうとして、ノートでバレリーを叩いたりして喧嘩になる。

 ジョン大尉が仲裁しハリエットは去っていく。バレリーは、らしくないとジョン大尉から責められるが、気にもせずジョン大尉と輪投げで楽しむ。だがその輪投げで遠くに投げた輪を取ろうとしてジョン大尉の義足が外れてしまう。ジョン大尉は恨みをバレリーに吐いて、サジャン・シンに肩を貸してもらって連れられていく。

 どうやらジョン大尉はよそへ去るらしい。落ち込むバレリーとハリエット。ジョン大尉に恋しているからだ、とハリエットの母は言い父は馬鹿げてる、と娘たちの心情を理解していない様子。ナンは好きな人が病気なら、花を持っていくと助言しバレリーとハリエットはジョン大尉に花を持っていこうとする。

 ハリエットがジョンの家に向かう途中、菩提樹でコブラを笛でおびき寄せようとしていたボギーとカヌー。ハリエットは急いでいたので忠告するだけしてジョンの家へ向かった。しかしボギーはその忠告を無視し菩提樹のところで笛を吹いてコブラをおびき寄せる。

 ジョンの家ではジョン大尉がメラニーに自分はなにもかもぶち壊す、と愚痴を話していた。彼は混乱しており両足がある人間の国ではあなたはまともではない、と言うメラニーに掴みかかる。すぐに謝罪したジョン大尉。どうやらメラニーはジョン大尉のことを好きで力になりたいようだ。ジョン大尉もメラニーのことを愛しかけていたが、メラニーは愛の重さを知っており、ジョン大尉が追いかけてくるのを拒絶し逃げるように森の中に入っていく。そんなジョン大尉をハリエット、バレリーも追いかける。

 結局、ジョン大尉はメラニーに追いつけなかった。沈んでいたところに、バレリーがやってくる。ジョン大尉は一度は恨み言を吐いたのに自分を追いかけてきてくれたバレリーとキスをする。それを遠くからメラニーとハリエットが見ており、二人は傷心して帰っていった。そしてバレリーは泣き出す。その涙はジョン大尉との別れではなく、友達がいて、憧れの人が近くにいて、の幸せが終わってしまうことに泣いていたのだ。

 帰ってきたハリエットを母が慰める。ハリエットはこれから、心も体も子供を産むことができる大人の女に変わっていくのだ、子供を産むことは辛いが幸福なことであり愛と似ていると説く。ハリエットはそんなの嫌だ、と大人の女になることを拒絶する。

 しばらく昼寝したハリエット。起きてからボギーがどこにも居ないことに気付く。また、カヌーを見つけるが何故か逃げていってしまった。不安になったハリエットはボギーを探し笛を見つける。森の奥に入ると、コブラに噛まれて死んだボギーを見つけたのだった。

 ボギーの遺体は棺桶に入れられて運ばれていく。悲しそうに見つめるハリエットの家の女子たち。その後、ジョン叔父さんはジョン大尉相手にボギーは幸せだ、と話す。ボギーは子供のまま人生を終え人生の辛苦から逃れることができたのだ、と。大人が子供を学校に押し込め無理矢理に戒律を叩き込ませる。そして大人が戦争に駆り立ててテキの殺戮を強要する。子供は自由に生きる動物らしい生き方をしていて、大人などいなければいい世界になるのだ、と。

 ハリエットはボギーがコブラをおびき寄せようとしていたことを知っていたのに、父に報告しなかった、と自分を責めていた。そして夜遅くに一人で外に出て舟を使って河に出る。ボギーの遺体に会いに行こうとしたのだ。

 ジョン大尉はボギーの死に感慨にふけっていた。メラニーはそんなボギーにアドバイスをする。片足だけの自分が嫌でもそれを認めなければ何にもならない、と。そして人間はいつも不平を訴える生物なのだ、とも。そこへハリエットが居なくなったという知らせが入り、ジョン大尉は急いでハリエットを探しに行く。

 結局、ハリエットは河を彷徨い、漁師の舟に助けられた。ジョン大尉がその舟にやってきてハリエットの話を聞く。死んでしまいたい、と嘆くハリエットにジョン大尉は
「もう一度生きるんだ。色んな出会いと出来事によって人の心は生死を繰り返すんだよ」
 と説く。その言葉に励まされたハリエット。ハリエットはジョン大尉に告白をして、バレリーとおあいこの立場に立ったことを嬉しがる。

時は過ぎて、春。

 村ではヒンドゥーの祭・ホーリー祭が開かれていた。春の訪れを祝い人が人に色粉をかけあうお祭りだ。

 ハリエット、メラニー、バレリーの三人に手紙が届く。アメリカのジョン大尉からで、ジョン大尉が結婚した、という知らせだった。その時ちょうどハリエットの母が子供を出産した。女の子だった。

 今日は赤ちゃんが産まれた。河は流れ地球は回る。朝・昼・夕・夜と巡り一日が終わってまた新たな一日が始まる。







 ジョン大尉の言った生死を繰り返す、それは破壊と創造の神カーリーによる破壊と創造の言い換えともとれますね。破壊が死、創造が生。破壊なくして創造はありえない。破壊創造を繰り返し世界は形成される。肉体というよりは心が死ぬ、変わることで新たな感情が生まれ人間は成長していく。人間も世界も流転を繰り返してるんですよー、っていう考えがこの映画には表れてますね。

 さあこの映画のタイトルは「河」。この映画の河というのはダバダバダバー!!と洪水の時のようにメチャクチャ速い河ではないですね。ゆったりしてます。やっぱりお父さんの描く川みたいに、動いているんだけど、止まっているように見える、そんなゆっくりとした川ですね。この映画は展開も登場人物の活動も基本はゆったりとしています。それはこの村の人々がみな川に依存していることの象徴でもありますね。この作品はインドのある村の人々の生活を描いているようで、その実ガンジスの河を描いているのではないでしょうか。

 三人娘と河の関わりについて。三人娘は、小娘、未熟な人間として描かれています。バレリーは勢いに任せるだけの小娘、ハリエットはかまって欲しい小娘、メラニーはなにもかも知っているように装いながらも、それを理由に前に進むことを恐れる小娘。この娘たちは終盤までは河ではありません。時々立ち止まって、後ろを振り返る。しかし春を迎え成長することで彼女たちは後ろを振り返ることをせず前へひたすら流れていく河となりました。それがこの映画でいう大人への成長という事ではないでしょうか。

 でもこの映画はその成長、河になることを完全に肯定している、とは言えませんね。大人に教わり、子供が大人になるのが人間の本来の持ち合わせるべき動物性から遠ざかることだ、とジョン叔父さんも言ってました。だからこの映画はガンジスの河を描くのが一つ、もう一つは子供から大人になること、つまりは大人(私は大人を河とも言いました)になることについて考えてください、という問題提起的な面もある映画なのではないでしょうか。

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2017/07/11 (Tue) | # | | Edit

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