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地下鉄という空間がまるで幻想世界のようです。


※短編映画です。

『白い少女』 La première nuit (1958年・仏)
白い少女
スタッフ
監督:ジョルジュ・フランジュ
脚本:レモ・フォルラーニ、マリアンヌ・オスワルド
脚色:ジョルジュ・フランジュ
音楽:ジョルジュ・ドルリュー
撮影:オイゲン・シュフタン
編集:ジャスミン・チェスニー、アンリ・コルピ
キャスト
少年:ピエル・デイヴィス
金髪の少女:リズベート・ペルソン


 ジョルジュ・フランジュ監督作品「白い少女」。原題は「La première nuit」。原題を直訳するとpremièreは「初めての、一番最初の」といった意味でnuitは「夜」。つまり「初夜」といった感じでしょうか。

 ジョルジュ・フランジュ。初めて作品を観ました。どうやら摩訶不思議な作品が多い人ですね。日本での公開作品は決して多くはありません。この人で特筆するべきことは「シネマテーク・フランセーズ」というフランス政府が出資するフランスの映画保存・修復・配給のための施設を共同設立したという偉業でしょうね。この人なしにフランスの映画保存施設「シネマテーク・フランセーズ」はありえませんでした。

 ピエル・デイヴィス。何だか「オーメン」(1976年)の男の子のようで怖いです。この子役俳優の他の出演作品は「What a Flash!」(1972年)で端役で確認できます。作品内ではほとんど表情を変えず、ずっと無表情です。金髪の女の子のリズベート・ペルソンもほとんど無表情なのですが、魅惑的な笑いを浮かべてるんですね。








【以下全文ネタバレ注意】













↓四行後にネタバレ文あり



 朝。元気よく中学校に通学する子供達。車で送ってもらって通学している少年(ピエル・デイヴィス)は地下鉄の駅の階段を上ってくる金髪の少女(リズベート・ペルソン)を観て嬉しい気持ちになる。

 少年は少女が自分の車の横を歩いた時のタイミングを見計らって降りて少女の気を引こうとするが、少女は一瞬少年を見ただけで話しかけもせず学校へと入っていく。少年もその後ろをついて学校に入っていく。

 夕方。少女は下校し地下鉄の駅の階段を降りていく。それを道路から車に乗って少年が見ていた。少年は運転手が新聞を買っている隙に車を降りて、少女のあとをついて階段を降りていく。

 少女が乗った地下鉄は一足先に行ってしまった。少年はその次の地下鉄に乗り込む。

 どこかの地下鉄の駅で迷子になってしまい少女も見失ってしまった少年。少年は地下鉄が走らなくなる時間まで駅で徘徊していた。

 停止したエスカレーターで眠りにつく少年。



 やがて少年は立ち上がる。エスカレーターが動き出すが、少年は逆方向へと歩きはじめる。

 少年はホームにたどり着く。ホームでは地下鉄が通過していき、その地下鉄には金髪の少女だけが乗っていた。しかし金髪の少女はこちらに気づかないかのように、少年以外のものを注視していた。

 次の地下鉄がすぐにやって来た。今度は金髪の少女が少年に笑みを浮かべて少年を見つめている。少年は小走りして少女の乗る車両に追いつこうとするが、少女は笑いを浮かべるだけ。地下鉄はそのまま去っていく。

 少年は一人でベンチで頭を抱えていた。頭を上げた少年が見たものは、自分を見下げてニッコリと笑う少女。やがて少女は消滅する。少年はまた俯く。

 そこに、誰も乗っていない地下鉄が停車する。少年の目の前で開く地下鉄のドア。少年が乗るとドアが閉まり、少年以外の誰も乗っていないまま地下鉄は進む。運転席にも人はいない。

 やがて少年の乗った地下鉄の右隣に、少女の乗った地下鉄が合流する。少年と少女は視線を合わせる。やがて少女の乗った地下鉄は坂を上へ、少年の乗った地下鉄は坂を下へ進んでいった。少年は涙を浮かべる。



 少年の寝ていたエスカレーターが動きはじめた。少年はエスカレーターの上で起きる。下を見ると、通勤の人々がエスカレーターを上ってきていた。

 少年は駅を出て街を、それから公園を歩いていく。









 つまりこの映画でエスカレーターを逆行するところから始まり、不思議な感覚に包まれるシーンは、少年が地下鉄の駅で見た夢だったという訳ですね。

 この映画は少年を二点の点から描いています。まず少女を追いかけて“地下鉄の世界”という新しい世界にたどり着いた少年。想像力豊かな少年はこの新世界で色んな事を思って、不思議な夢を見ます。一点目は少年を、子供として描いています。

 二点目は、少女に振り向かれようと必死に気を引こうとしていることです。つまり少年を男として描いています。好きな子に振り向いてもらおうと登校のタイミングを合わせたり。それを女の子は現実でも夢の世界でもヒラリヒラリ避けています。そして夢の世界で自分に振り向いてほしい、と必死になる男の子を笑います。
 結局、地下鉄は男の子の手の届かないところへ行ってしまいました。男の子は自分の恋する人に手も届かなくて涙を浮かべます。それは異性を意識する人そのものです。

 この映画は男の子の求愛だったのだと私は思います。しかし私の考えが正しいのであれば、その求愛を地下鉄の世界で表現する発想はすごいものです。そして夢の中での失恋の後に、霧がかった公園を歩くのは、少年の成長を表していたのではないでしょうか。

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Category: 洋画サ行

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