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トンデモ問題作品です。もしこのモデルになった人が存命中ならば、私の記事はそのメディア王によって削除されたかもしれません。



『市民ケーン』 (1941年・米)
市民ケーン
スタッフ
監督:オーソン・ウェルズ
脚本:ハーマン・J・マンキーウィッツ、オーソン・ウェルズ
製作:オーソン・ウェルズ
音楽:バーナード・ハーマン
撮影:グレッグ・トーランド
編集:ロバート・ワイズ
製作会社:マーキュリー座
配給:RKO
キャスト
チャールズ・F・ケーン:オーソン・ウェルズ
リーランド:ジョゼフ・コットン
スーザン:ドロシー・カミンゴア
エミリー:ルース・ウォリック
サッチャー:ジョージ・クールリス
メアリー・ケーン:アグネス・ムーアヘッド
トンプソン:ウィリアム・アランド
バーンステイン:エヴェレット・スローン
ゲティス:レイ・コリンズ


 オーソン・ウェルズ監督作品「市民ケーン」。原題タイトルは「Citizen Kane

 稀代のトリックスター、オーソン・ウェルズによる作品です。私はこの作品を観賞してウェルズを日本でいうスサノオのようなトリックスターであり彼の芸術の才能というものに一種の恐怖を感じました。私はウェルズという存在自体に良い意味でも悪い意味でも秩序を壊してしまうような存在なのだ、と認識させられました。

 技法などについては私はあまり詳しくないので語りはしません。しかしこの映画の裏で起こっていたドラマのようなものはぜひ知ってもらいたいと思います。

 この作品のウェルズが演じた富豪にはモデルがいます。アメリカの新聞王ウィリアム・ランドルフ・ハースト。ウェルズが演じた役の名前は違っても間違いなく彼だとわかってしまいます。ハーストはショーガールの妻と結婚。この妻とはハーストが死ぬまで婚姻関係の形のみは続いていました。しかし途中で別居し元女優のマリオン・デイヴィスと同棲をします。

 ハーストは彼女を女優として自身の新聞やメディア界にある自分の権力を使いまくってプッシュしまくります。しかし世論は露骨な宣伝にしらけて結局、彼女は芽が出ないままハースト事業の衰退により引退しています。ウェルズの役と違うのは妻との婚姻関係が続いていたことと、デイヴィスが彼の元を死ぬまで離れなかったところですかねえ。まあハーストの死と同じ年にデイヴィスは若い男と結婚していますが。

 ハーストの新聞王としての評価ですが、どうもあまりよろしくないようです。権力使いまくって時には記事をでっちあげたり、戦争を仕掛けさせたり公平な記事を書くつもりはなかったようです。

 ウェルズがこの映画を作り上げるとハーストは激怒してウェルズに評論家を買収したり、劇場へ圧力をかけたりともてるすべての権力を使って公開の妨害工作にのりだしました。一方、映画監督としてのキャリアが浅いウェルズはトリッキーな面を他の映画製作者や映画会社から嫉妬されたり疎まれたりしていました。

 公開が近づくにつれハーストの妨害工作は増し、暴露記事を書くぞなどとウェルズを脅したりもしました。なんと当時は天下の映画会社MGMのルイス・B・メイヤーもハーストに味方しウェルズが映画のネガフィルムを廃棄すればウェルズが被った損害すべてを賠償する、と交渉をする。しかしウェルズはそれに全く応じず配給のRKOに公開しなければ告訴する、と脅しなんとかRKOがリスクを背負って上映しました。後にこの出来事はハリウッドの歴史の汚点とも言われています。

 さてこの映画、評論家には絶賛だったにもかかわらずあまりにもスキャンダラーすぎた出来事があったりハーストの妨害があったせいかはしりませんが、興行的には失敗しました。ウェルズはこの失敗が引きずったのか後の作品も自分の思ったようには作れなかったり興行的に失敗続きで彼の映画監督としての道は閉ざされました。以後はトランスフォーマーのアニメ映画で声優をしたり、B級映画に出演したりとスターとは言えない人生を送りました。

 しかし救われるのはウェルズがそんな生き方を喜劇的だ、とどこか楽しんでいたというところですかね。それでも映画の制作意欲は死ぬまで変わらなかったようですが。市民ケーンがやっと評価されるようになったのはやはりハーストが死んでからですね。私は読売グループのナベツネが嫌いなのでこの映画でナベツネを新聞王と重ねて観た部分もありました。


【あらすじ】

 新聞王かつ巨万の富を築いたチャールズ・F・ケーンがついに死んだ。彼は支持されたり批判されたりの繰り返しの波乱万丈な人生を送り続けてきた。彼が最期に遺した言葉「バラのつぼみ」のことを気になったニュース映画の制作者は編集者トンプソンに彼の周囲の人間にバラのつぼみについて聞きに行くように命じる。トンプソンは聞き込みをしながら華やかな彼の寂しい裏側を知るようになる・・・




チャールズ・F・ケーン(オーソン・ウェルズ)
チャールズ・F・ケーン(オーソン・ウェルズ)
スーザン(ドロシー・カミンゴア)
スーザン(ドロシー・カミンゴア)










【以下全文ネタバレ注意】











↓四行後にネタバレ文あり




 フロリダの小高い丘にザナドゥという未完の巨大な城があった。そこには動物園や植物園も設置された個人的な私有遊園地もあったのだ。その城の城主であるチャールズ・F・ケーン(オーソン・ウェルズ)が息を引き取った。手に握っていた雪景色のガラス玉が落ちて割れ、「バラのつぼみ」という最期の言葉を発し息を引き取ったのだ。



 ケーンの死に際しロールストン(フィリップ・ヴァン・ツァント)という男が記録映画を作っていた。ケーンは幼少期に母親が鉱山を手に入れ、その遺産を引き継ぐ。しかしケーンは巨万の富を引き継ぐがそれよりその資産の一つの小さな新聞社『インクワイラー』に興味を持つ。

 やがてインクワイラーを手に入れ彼は一代で立て直しやがてケーン帝国と呼ばれるようなグループをつくるようになる。大統領の姪と結婚し政界進出も企てるが、女のスキャンダルで失敗。妻とは離婚しそのすぐ後に妻子は事故死。ケーンはというと、不倫していた歌手と電撃結婚を果たす。

 ケーンはその妻のために資産を出してオペラハウスを建てるが彼女自身に才能があったわけではないためにケーンのグループのプッシュをしても、彼女は笑いものになりつづけていた。彼女はその生活に疲れケーンは今度はザナドゥという城や遊園地を作り上げた。ケーン夫妻はその城で隠居のように暮らすがやがて離婚。ケーンも老いによって死に至ったのだ。

 しかしこの記録映画の出来にロールストンは満足がいかない。そこでロールストンは彼の遺言に興味を持ち記者で編集者のトンプソン(ウィリアム・アランド)に彼の周囲に聞き込みにいかせる。「バラのつぼみ」とは果たしてなんなのかを突き止めるために・・・

 最初にあったのは二人目の妻スーザン(ドロシー・カミンゴア)。しかし彼女は疲弊しており情緒不安定だった。トンプソンはひとまず後回しにして先にケーンの後見人であった銀行家のサッチャー(ジョージ・クールリス)の回想録を読みに向かう。

 サッチャーとケーンは最後まで確執が絶えなかった関係だった。

(サッチャーの回想録より)

 ケーンがまだ小さかった頃、下宿屋を営む母メアリー(アグネス・ムーアヘッド)が下宿代の代わりに客が置いて行った金鉱の権利書を手に入れた。彼女は銀行に息子を預けることを決める。それは金のためではなく、息子に暴力を振るう夫ジム(ハリー・シャノン)から引き離すためだったのだ。

 ケーンは当時はまだ何も知らなく、両親から引き離されることを知り愛用のソリで引き取りに来たサッチャーを殴りつけてしまうほどだった。

 やがて成長し25歳になったケーンは遺産を引き継ぐ。世界で6番目の富豪となった。ケーンは巨万の富というよりその資産の一つである小さな新聞社「インクワイラー」に興味を持つ。

 ケーンは親友の劇評家リーランド(ジョゼフ・コットン)やバーンスティン(エヴェレット・スローン)と共に新聞社を買い取り、経営を開始する。その記事はいつも過激で、読者をひきつけることに成功していたのだ。サッチャーはこの方法でも赤字は回避できない、と苦言を呈するがケーンはいずれ巨大な損害を被ることを予期しつつもサッチャーの言葉を無視していた。

 やがて老いたケーンとサッチャー。ケーンは大恐慌のあおりを受けて破産したのだった。

(終)

 図書館を出たトンプソンは今度はケーンと一緒に仕事をしていた新聞社の参謀的存在、バーンステインに会いに行く。

 バーンステインもバラのつぼみがなんなのかは知らなかった。彼は何も考えずにただただ崇拝する対象であったケーンとの思い出を語り始める。

(バーンステインの回想)

 インクワイラー本社に乗り込んだケーン、バーンステイン、そしてリーランドの三人。三人は編集長のハーバート・カーター(アースキン・サンフォード)から迎えられる。三人は部数を伸ばすためには今までのような新聞ではダメだ、と改革を始める。とにかく記事を大衆受けするような濃密で興味を引きやすい記事に。

リーランド、ケーン、バーンステインの三人


 やがて見る見るうちにインクワイラー社は成長し、ケーンは見る見るうちにメディア業界を牛耳る存在に君臨してしまった。

 ヨーロッパ旅行から帰国したケーンは大統領の姪エミリー(ルース・ウォリック)と結婚する。

(終)

 語り終えたバーンステインはリーランドを訊ねるべきだ、という助言をトンプソンに伝える。トンプソンは老いで病院に入院するリーランドを訪問した。

 リーランドはケーンのことを「彼はいろんなものを弱者に与えそれを嬉しがる男だ。つまり弱者が自分の言うことを聞かないのが我慢ならない。しかし彼は愛を欲していた。彼は与えることで愛がもらえると思い込んでいた哀れな男なのだ」と話す。

(リーランドの回想)

 新聞のためなら大統領でも容赦なく記事で批判するケーンとエミリーの結婚生活はすぐにうまくいかなくなっていた。

 そんなある日ケーンは馬車に水をはねられびしょ濡れになっていたところを一庶民のスーザンと出会う。スーザンはオペラ歌手を目指しておりその夢の話を聞いてくれるケーンとの会話を楽しむ。一方のケーンも彼女との会話に心を癒されていた。

 やがてケーンは知事選に出馬する。対抗馬であるゲティス(レイ・コリンズ)を高らかに批判し悪政で民衆を苦しめる彼を刑務所にぶちこむことを約束する、と声を張り上げた演説はケーンへの支持率アップを確定づけていた。

ケーンの演説シーン

 しかしケーンは妻エミリーがスーザンの家に向かうことを知り驚く。エミリーはスーザンに手紙で呼ばれていたのだ。

 スーザンの家にはゲティスがいた。ゲティスはスーザンを脅して手紙を書かせたのだ。ゲティスはケーンに出馬を撤回しなければケーンとスーザンの不倫スキャンダルを暴露してやる、と言う。エミリーも物事を解決するためには出馬撤回しかない、と言うがケーンはそれに全く応じずゲティスと戦うことを宣言する。

ゲティスを罵倒するケーン

 やがてエミリーにも見限られケーンとエミリーは離婚。ゲティスも暴露記事を書かせたためにケーンの支持率はだだ下がりし、結局ケーンは選挙で敗北してしまう。

 またリーランドも自分しか信じず誰の意見も聞かずに自分だけで自分の行動を決め周りを振り回すケーンに嫌気が差しシカゴ支局に異動を要請する。ケーンはそれに応じると共に必ず後悔するぞ、と伝えるのだった。

 その後ケーンは名誉を少しでも守るべくスーザンと結婚する。ケーンはスーザンの歌手としての成功に金を使い始める。しかし金を使っても歌というのは才能も必要なのでスーザンはいっこうに上達しなかった。

 やがて劇評家として演技がひどいし歌もひどいという酷評を書いたリーランドの原稿を読んだケーンは彼をクビにしてしまう。

ケーンとリーランドの離別

(終)

 病院を去ったトンプソンは今度こそスーザンから話を聞くことに成功する。

(スーザンの回想)

 スーザンは自分が笑いものにされ酷評されることに耐え切れず舞台を降りることをケーンに打ち明けるがケーンは己のプライドを尊重しここで引き下がるわけにはいかない、とそれを認めなかった。

 ケーンは自分の新聞でのみとにかくスーザンを褒めたたえるがスーザンは耐え切れずに薬を過剰に飲んで自殺未遂を図ってしまう。

 さすがにケーンも引き下がらざるを得なくなり、今度は巨大な城ザナドゥを築き上げてしまう。

 しかしケーンは与えるばかりでその与える物に心も愛もこもっていないことをスーザンは見抜いていた。スーザンはケーンの下を去ることを決意。ケーンが止めるのにも「アナタは自分の為に私に傍にいてほしいだけ」と言い残し去って行った。

(終)

 スーザンの進言によりトンプソンは今度は執事のレイモンド(ポール・スチュアート)に会いにいくことがきまる。

 レイモンドは心当たりがある、といいその話を始める。

(レイモンドの回想)

 スーザンが去った後の部屋でケーンは部屋で暴れ回る。とにかく家具を壊し投げ飛ばし。

 やがてケーンはその部屋の一角で雪景色の移るガラス玉を発見する。ケーンは涙しながらそれを握り「バラのつぼみ・・・」とつぶやく。

 ケーンはそれを持ち去って行った。

 やがてケーンは一人さびしく孤独な死を迎えた。

(終)

 結局、レイモンドの話でも肝心のバラのつぼみのことはよくわからなかった。トンプソンは今までの話を聞いてケーンの人生をパズルに例えた。もしかしたら「バラのつぼみ」も無くしたピースの一片だったのではないだろうか。

 やがて屋敷では焼却処分されるものは焼却炉で焼かれていた。

 その中の一つにあの幼い頃遊んでいたソリがあった。そのソリには〝Rose bud〟(バラのつぼみ)と書かれていた。

 ザナドゥからは煙突から不気味に黒い煙が立ち上がっていた・・・








 結局、バラのつぼみとはなんだったのでしょうかね。

 一説では特に意味はなく、オーソン・ウェルズが最初の段階で観客の興味を引きつけるため、という説もあります。

 またかの有名な映画評論家・淀川長治は「子供のころ里子に無理やり出されるときに持っていった雪ぞりで、世の中には意のままにならないこともあることの象徴だ」と言ったそうですが、私はこの意見には同調しかねますね。納得いく部分もありますが少し飛躍しすぎなのでは、と疑問に感じます。

 でもやはり幼い頃のソリに意味があると思うんです。私としては何個か候補があるんですが、一番これではないかと思う候補は愛を知らず愛に飢えたケーンが幼い頃の母を思い出した、という感じですかね。大人になってからはケーンは誰からも愛されなかった、という感じだからそんな感じなのではと思いました。

 正解はないんだと思います。でも私が言ったからあっ!そうなんだ、とか淀川氏がいったからあっ!そうなんだあと思うのは出来ればやめてもらいたいですね。映画というのは自分で観て自分で感じてから初めて語れるんだと私は思っています。だからこそ自分で観て自分の意見を確立するべきなのだ、と私は思っています。

 生意気なこと言ってゴメンなさい。気分を害したら謝ります。
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Category: 洋画サ行

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